本日の逸曲

Mr.Childrenのアルバム「シクフノオト」より「Any」
厳しく優しい詩が胸にサクっと突き刺さる。「嘘じゃない。」そういえる自分でありたい。


「オタクの何がいけないの?」というテーマで
真剣10代しゃべり場」というNHKの番組で放映していたので閲覧。
D.C.〜ダ・カーポ〜」のポスターとかが家の壁にところ狭しと並んでいるのは圧巻だ。
もちろん、押しピンなどでポスターは貼っていないのだろう。
問題になっていたのは「オタクへの偏見」ということだった。
いわゆる「オタクはキモい」といわれることがイヤなんだそうだ。


まず、苦言。
アニメが好き、声優が好きだからといってアニメ業界に入るのはどうかと思う。
ストリートダンスをしてる兄ちゃんもダンスでプロになりたいといっていたが
見てるところでは両方とも現実性は薄い。”現実という壁”によって打ち砕かれるのは目に見えている。
一番プロの可能性が高いのは、声優の養成所に通ってるとかいう”道場破り”の兄ちゃんだけだろう。
(実はこれも可能性は極薄なのだが。)
「好き」だからといって「プロ」になれるとは限らない。
オタクは専門学校や下積みなどのそれなりのプロセスがあって、消費者からクリエーターへと変遷していくもの。
もちろん才能がなくてはなれるわけもない。
「オタクは消費者であって、決して創造者ではない。」というのがボクの持論だったりします。
声優やプログラマイラストレータなど「オタクな職業」と呼ぶ人もいますが
あの人々はオタクではなくなっている。もうすでにクリエーターなんだと思う。
また「日本のアニメが世界的にもスゴい」んだから「オタクは卑下される存在ではない」という論法は間違えですな。
日本のアニメはクリエータが作っているのだから。オタクが作ってるわけではない。
また別な機会に「クリエーターに必要な要素」についても書いておこうと思う。


話がズレた。元に戻そう。
まず「オタク」とは何なのか?ということは大事だと思うので、一応思考整理を。
オタクがハマる「美少女ゲーム」や「恋愛シミュレーションゲーム」や「フィギュア」や「アダルトゲーム」などは
「現実には存在しない要素」が多分に含まれている。いわゆるバーチャルというやつだ。
実例としては
「巨乳でスタイル抜群のおねぇちゃんが冴えない自分に告白してくれるなんていうこと」(巨乳趣味対象)
「中学生の女の子や幼女とエッチが出来る」(ロリ趣味対象)
などありえないことが「オタクな物」ではありえてしまう。
いいかえると
「実際に埋めきれない空いている隙間を満たしてくれるもの」ではないだろうか。
「消費者の満足度を100%実現してくれるもの」と言い換えた方が判りやすいだろうか。
これによって「現実との境が薄くなる」人もいる。
いわゆる「リミッターが外れちゃった人」「キモオタ」と言われる人なんだが。
ここが問題。
「オタク行為が依存」に見えるためだ。ドラックに溺れてしまっているように
一度ハマってしまえば現実の人間より魅力的なものに見えてしまう。
一般人と少しずつ考え方がズレてタガが外れてしまい他人から見ればひどく滑稽な人に見える。
一般的にキモいとされている理由だ。これによって「オタクはキモい」という価値観が形成されていく。


キモオタがキモいのは治らないと思う。治す気がないから。致命的と思うが。
しかし、「常識を持ったオタク」は必要だとボクは思う。
リエータ的要素を持ったオタクは必要だし、もうすでにオタク文化はマイノリティな文化ではない。
インターネットはオタク文化で溢れていることだし。
海外では「hentai」といえば「日本の18禁アニメ」を示し「anime」は「日本産のアニメ」を示すらしい・・・
(ちなみにディズニーなどのアニメは「animation」とされるそうな。)
日本では東京・秋葉原や大阪・日本橋に言っていただければ判る。
そしてアニメショップやフィギュア専門店などもオタクによる買い物があるおかげで商業的に成立するものなんです。
わたおに」が流行るのもウナズケマスヨネ。
たとえ未だにオタク文化がマイノリティな文化だとしても
カウンターカルチャーサブカルチャーも時代を語る上で重要な存在であることはいうまでもないことですし。


オタク文化を理解した一般人は文化的価値観が広がると考えてもらってもよいのではないだろうか?
小難しい話をしてしまったが、簡単に言えば
「オタクを許せる価値観」を持てば「ある程度の他人に優しくもできるのではないか?」と思うのは気のせいだろうか?
結論として。
オタクな皆さんもちょっとでも一般人に理解される態度を取っていこう。
趣味は趣味でいいけどさ。もちろん隠す必要はないです。
服装とか態度とかもうちょっと小奇麗にしたほうがいいと思う。
あと、電車内で大声で爆笑する常識の無さは勘弁してくれ。ブロッコリーの袋持った人々。
社会と接点を持っていくべきなんだろうと思う。他人の目を少し考えよう。
もっと”第三者視点”で物事を見てみたらいいと思う。もっと分かり合えたらいいなと思う。