変わっていくもの

「舊」という漢字が読めるだろうか、
私は日経新聞の夕刊で見るまで全く読めなかった。
これは「旧」の旧漢字だそうだ。
確か、日経のコラムの内容としては
古いものを省略し、淘汰しながらやってきた日本が
意味ある重要なことまで捨ててきてしまったのではないか?
もう一度古いものの意味を見直すべきでは?
というような論調だったと思う。
そのときは、古いものまで知らなくてもいいじゃんと思った。


実は先日この「舊」を見る機会があった。
ふらっと通った乃木坂でである。
「旧」乃木邸の門にはこの「舊」が書かれている。
実際古いものは無くなってはいないのだ。
かつて存在したものではなく、現在も使われなくなったが
古いものも現在社会に存在しているのだと実感した。
確かに古いものの価値というものは私にはわからない。
だが、時間とともにその意味が失われるとは思わない。
価値は薄れても意味は残っているのだ。
万物の価値は時間が経つにつれ、薄れていくものが多い。
例えば今使っているパソコンなどは減価償却され日ごとに金銭価値は失われる。
しかし、パソコンの価値を失ってもそこから生み出されたモノの意味は残るのではないか。
「概念は死なないし、失われない。」
そんなことを考えた。